映画鑑賞・読書

2022年07月17日

インベカヲリ★×大野左紀子 「芸術と犯罪と症状は似ている」を聞いて

無差別殺傷事件犯やその周辺にいる人への取材を通して犯人の動機の奥にあるものを解き明かそうとする『「死刑になりたくて、他人を殺しました」 無差別殺傷犯の論理』やエッセイ集『私の顔は誰も知らない』などの著作のあるインベカヲ リ★氏とツイッターでフォローさせていただいている文筆家、大野左紀子氏のトークショー「芸術と犯罪と症状は似ている」を聞いた。

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大きなトピックスは、前半の大野氏による男女の身体的な違いかは起こるセックスの不均衡や暴力性の話、後半の無差別殺傷犯人の背景にある母親からの影響の話があり、私にとってはセックスの不均衡さのほうが切実な話題だった。

タイトルの「芸術と犯罪と症状は似ている」に関する「鉄柱詩」の話も興味深かった。

「鉄柱詩」とはインベ氏が駅などでよく目にする、すぐに消されることも多い落書きのこと。
意味のない言葉の羅列ではあるが、同じ人が書いたと分かる特長があり、しばらく見ないときもあったが、コロナ禍でトイレットペーパーなどの買いだめが起こっているときに「新作」を見つけて、鉄柱が光を放っているような希望を感じたそうだ。
それに対し、大野氏は「多くの人が(トイレットペーパーの買いだめのような)人の欲望に自分の欲望に乗らされているときに、1人だけ孤独に自分の欲望と向かい合ってる人がいることに希望を見いだしたのでは」と指摘する。
人は情報に踊らされたり、みんなと同じことをしなければならないという思い込みから、本心では望んではないことを自分が望んでいるように感じて行動してしまうものだが、他の人のことなと気にせず、自身のしたいことを行っている人がいることにインベ氏が感激した気持ちがよく分かる。

インベ氏がそこに希望を感じたのは、インベ氏自身が他人からの評価や称賛より、自分のしたいことを実践しようとしている人だからであろう。
公共の施設に落書きすることは「軽犯罪」で、おそらく本人もそんなことはしてはならないと分かっているものの、そうしたいと願う願望の発露があり、それとアーティストが自分の思いを作品に託して世に問いたいとする願望の発露とは表れる形は違っても「症状」は似ているということだ。
私自身も他人に惑わされず、自分が本当にしたいこと淡々と行っていきたいと思っているので共感した。

次に、大野氏による男女の身体の性差によるセックスの不均衡の話に移った。

男性のペニスに対応するのは女性のクリトリスで、どちらも摩擦よって快楽を得る。一方膣はそんなに快楽を得られる場所ではない。それなのにセックスのときに使うのはペニスと膣。だから女性は特に最初のうちは痛いだけなのに、男性は初めから快楽を得られる。
男女の身体の性差による不均衡がありとても理不尽。
これは身体差によるものなので、ジェンダー、社会や文化による男女の違いが解消されたとしてもなくなる問題ではない。

男性は相手が痛い思いをすると分かっいてセックスする、そこには暴力性のようなものがあるが、セックスが暴力的なものだとは認めたくない、愛する男女がお互いに気持ちよくなってセックスしたいという人類の切実な欲求が、女性にセックスは気持ちのいいものだと思わせるテクニックや文化を作り出し、 それと共に男性の勃起力を高めるポルノも発展してきた。
もし、男女の身体的性差によるセックスの不均衡がなく、同じように快感と痛みが配分されていたら、もっと違う文化が生まれていたかも、というのが大野氏の仮説だ。

私自身は膣でもそれなりに快感を感じられ、初体験のときからそんなに痛みはなかったのだが、男女の体力における不均衡さを感じることがある。
「疲れマラ」という言葉があるように男性はどんなに疲れていても、疲れているときこそ、セックスしたくなり、セックスしているときには体力を使うがその後、爆睡し、いい眠りにつけるからか、次の日にはすっきり体力ややる気がみなぎることが多いようだ。それに対し、女性は疲れているときにはとてもセックスしたい気持ちにはなれないし、次の日にも疲れが残るので、疲れているときにはしたくなくなる。
産後の妻がセックスを拒否するのはこれが理由だと思う。

この違いがあるのは、大野氏が言うように、女性のオーガニズムは自己破壊的な快楽で、苦痛を伴う非常に強烈な体験、享楽であるのに対し、男性のオーガニズムは女性を欲望し、侵入するときに感じる受動的な快楽だからなのかもしれない。

さらに女性は好きな人と一緒に楽しく過ごせれば、必ずしもセックスしなくてもいいが、男性はせっかく一緒にいるのにセックスできないのは残念だと思う人が多い。
私には付き合って3年あまりにいる恋人がいて、最初は彼の休みに合わせて週に2回会って、セックスしていたが、50を過ぎ体力の衰えを感じるようになって、それがしんどくなってきた。このままでは自分の生活(あるいは彼とのお付き合い)にも支障が出ると、セックスするのは週に1度にしたい、もう1日は食事や映画や美術館に行くだけのデートにしたいと提案した。彼にとっては「セックスなしのデート」にはかなり抵抗があるようで、私の愛の減少を疑われたりもしたが、特別出掛ける用事がないときには、週に1度セックス付きのデート(デパ地下でお弁当を買ってフリータイム5時間のラブホテルで過ごす)をすることになった。

自分で言うのもなんだが、彼のほうが先に私を好きになって始まった交際なので、私の希望が受け入れられたが、もし、女性のほうがより好きな交際なら、我慢して彼の望むセックスを受け入れてしまう女性も多いだろう。


ところで、男女の不均衡はの理由は(完全に信じてるわけではないが)旧約聖書に書かれているように、エバのほうが先に禁断の果実を食べてるアダムにも勧めたために、エバのほうがより重い罰を受けたからなのかもしれない。

(それならイエスの無謬の死によって自身が贖われたと信じる女性たちはセックスの苦しみからも逃れられているはずなのだが)

本来痛いセックスを快楽に持っていくためにセックスは気持ちいいものだとい思い込みが必要で、そのためのテクニックや文化が作られたが、それを言うと男性から反発がある。
また、男性の勃起のためのポルノも生産されてきたという話は、特に男性側の状況に、本当にその通りと膝を打った。

私は風俗で働いた経験があるが、風俗で働くということは、金銭を得るために仕事で性的な行為を行うわけで、だから相手に対して特別な感情を持つことはなく、単に相手が客だから性的行為をしているにすぎない。他の仕事だと、それが好きだからその仕事を選んだ人もいるが、性風俗の場合はほとんどいない。
客のほとんどは、容姿や体型などが自分の好みだとうれしいが「規格外」の女性でなければ誰でもいいと思っているのに、女性には自分のことを好きだったり、性的な行為が好きでやってると思い込みたがる。
金銭を介しての関係なんだし、不都合なことは見ないふりをして物質としての女体を自由にできることを楽しめばいいのに、なぜか「心」まで求める。
カウンターで料理を楽しむときや、宅配便を受けとるとき、目の前にいる労働者が自分に行為を持っているかどうか、この仕事が本当に好きでやってるのか気にすることはないのに、「性的な行為を行うのは好きな人とだけ」という前提に客のほうがこだわっているのか。
男を勃起させるためのコンテンツの多くは、好きな女性とのセックスを楽しむためのものではなく、性的なコンテンツやそれが宣伝する商品を購入させたいがためのものばかりなのに、皮肉なことである。

一方、女性にセックスが気持ちいいと思わせる文化は、男性ほど必要とされてなかった。なぜなら、女性にとってセックスは自分がしたいからするものではなく、何かの利益を得るために行わざるを得ないことのほうがずっと多かったから。
女性にとってセックスは結婚したら相手とだけ行うもので、「婚前交渉」に目くじら立てられなくなったのはここ3、40年ぐらいのこと。端境期にはまだ結婚はしてないけど、必ず結婚してくれる、つまり責任を取ってくれそうな人とならしてもいいんじゃない?という風潮があった。
その判断基準になるのは、身体目当てではなく、ちゃんと自分のことを愛してくれているか。この場合の「愛」はロマンチックなものより、結婚し、一生涯養ってくれる気があるのかを図る非常にシビアなものだった。
「身体を許すかどうか」も自分がセックスしたいからより、それを求める相手の気分を害さず、良好な関係を続けるための必要性を感じてのほうが多かった。
女性の性欲を喚起させるものは、女性自身のためより、女性を興奮させたい男性のために作られたものが多く、女性が本当に気持ちよくなれるものより、男性の妄想を元に作られたが、女性からしたらポイントはずれのものがほとんど。
おしゃれなセルフプレジャーグッズが百貨店で売られたり、性に関するネット記事を見掛けることもあるが、真摯に女性の悩むに寄り添うより、以前より経済力をつけた女性を新たな購買層と捉えただけのように思える。
男性向けエロ産業が、現実のセックスをより豊かにしてもらうためのものではなく、さらにエロコンテンツにお金を使ってもらうために過激になっていったように、女性向けエロコンテンツも実際のセックスとは程遠い独りよがりな妄想を駆り立てるものになっていきそうで危惧している。

休憩を挟んだ後半は無差別殺傷犯の話をしたが、父親の存在が薄く、甘えを立ちきり、社会に押しだす役割を果たす父親の役割を母親が担っていたパターンが多いそうだ。

夫婦関係がよくなく、母親が性的にも愛情的な面でも満たされていないという指摘があったが、夫婦のあり方は分からなくても、育児に父親が積極的に関わっていないとしたら、家族や妻を軽んじていたことに他ならず、そんな夫との関係に満足するはずがないと自身の体験からも思う。

無差別殺傷は本来母のものである享楽を息子が自分で肩代わりしているのではという大野氏の指摘は真に迫るものがある。
こんなことを言うと不倫を正当化してると非難されるかもしれないが、夫からは得られない喜びを交際相手から得ていることで、息子に対して過度な期待を掛けずにすんでいると自負している。

子供が自分とは別の人格をもった人間であることを認めるためには、まず自分が子供や夫に付随するものでは、1人の人間であることを認め、自分がなすべきものは何かを考えなくてはならない。

その足掛かりとなりそうな話を最後にいただいた。

大野氏によると今はジャンルという垣根がなくなったので、別の分け方を考えた。それが「4つの作る」だ。

物を作る
物質、絵、料理

物語を作る
マンガ、アニメ

場を作る

関係性を作る
人と人を結びつける媒介

自分がやりたいもの、できそうなものははどれに当たるのかを考えるのは、自分は何を与えられるかを見いだすことだ。

もう若くなく、体力の衰えを感じるときを迎え、残された次官で何かを成すことができるのかと考え直している。






















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2021年10月30日

『コロナ貧困』とすでに絶望的格差社会になってる性風俗産業

クラウドファンディングの特典としていただいた藤田孝典著「コロナ貧困 絶望的格差社会の襲来」を読んだ。

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コロナによって経済的ダメージを受けたり、それ以前からカツカツの生活を送ってきた人がコロナによってとどめを刺される形で貧困に陥った人が公的な支援を受ける難しさをソーシャルワーカーの立場から描いている。

現代日本において、生活に困窮した女性の「自助」対策のひとつとして、性売買が有効な手段のように思われている。

第3章で取り上げられた「通常なら風俗で働かないような女性が風俗で働く」という発言はまさにそんな構造を表している。

しかし、彼が語るように「3ヶ月で目標額を稼いで辞める」ことはまずなく、新人風俗嬢が3ヶ月後に姿を消すのは、風俗を辞めたからではなく、思うように稼げず別の店に移動した可能性が高い。

あの発言は「不況になれば風俗嬢が増える」という表面的な現象は語っているが、風俗業界の内側にある悲惨な現状は全く見えてないない。

それは筆者にとっても同じで、買う男性と売る女性だけでなく、エロ心を抱く男性とお金の欲しい女性を利用して稼ごうとする風俗店経営者や広告代理店、仕事を得たい女性の向上心や承認欲に目を付けた、風俗講師、撮影スタジオなど、直接性売買には関わらないが、性売買を「金儲けのタネ」にしようとする勢力の増大さとえげつなさは、実際に「売る側」として風俗業界に足を踏み入れてしまったものでしか分からないだろう。

その点ではいちタレントの発言を軸にした構成に不満が残るが、風俗という業界の排他性を考えればしかたがないことだろう。

風俗業界はサブタイトルにあるような「絶望的格差社会」にすでになっている業界であり、筆者が繰り返し批難する、権力を持った側が労働者の権利を矮小化し、働かざるものが働いた人が得るべき利益を不当に奪うシステムも全く同じなので、そういった視点をもっと盛り込んでほしかった。

ところで、私自身や知人、知り合いには比較的裕福な人が多く、コロナで商売に支障が出たり、給与、特に賞与が減った人もいるが、帰省や旅行などお金を使う機会も減り、生活に困るより楽しみが失われたことを嘆く声のほうをよく聞いている。

子供の将来には心配な面もあるが、自分の老後は何とかなるだろうと楽観的な人がほとんどである。

金銭的に恵まれている人たちが、その富を手にするためにまったく努力してない訳ではないが、恵まれない人たちより生まれながらに得ていたものが大きいことは、自身や自身が接してきた人たちと、この本で描かれている人たちの人生を比べてみれば明らかである。

しかも、非正規雇用の増加を推進、「公助より共助、自助」を求める政策によって、恵まれた人と恵まれない人の格差は広がっている。

そういった日本の状況を踏まえ、困窮者に寄りそう現場からの提言は多くの気付きを与えてくれる。

「恵まれた側」からできるものはないのか、考えさせられる一冊であった。








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2021年08月04日

『私がフェミニズムを知らなかった頃』を読んで「がんばれること」や「平等」について考えた

姫野桂さんとのイベントで小林エリコさんという方を知り、『私がフェミニズムを知らなかった頃』を購入した。

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イベントでは明るく楽しそうな人だったし、幼い頃の家庭環境は悲惨でも、フェミニズムを知ることに立ち直っていく話なのかと思っていたが、大人になってからも、出会う男、出会う男すべて、筆者を「簡単ちヤれる相手」としか見ていないようなひどい男で、読むのが辛くなってきた。

しかし、でも途中でやめたら読後感悪すぎる、明るい人生を取り戻すところまで読まなければと言う気持ちでなんとか読み終えた。

これまでの男性とは違い、筆者を心から愛する人に出会え結婚し、しあわせな家庭を築く……なんて、私が望んでいたような展開はなかったが、フェミニズムに出会い、男性に頼ることなく、自分の得意なこと、やれることで生きていこうとする姿勢には一縷の望みが感じられた。

筆者の転機のひとつに、生活保護を受けながらNPO法人でボランティアで編集の仕事をしてことだ。

その仕事がうまくいき、非常勤雇用で採用され、充分な収入を得られるようになって、生活保護を解消する。

生活保護を受けながら、自分のしたい仕事、できそうな私語とをして、収入に応じて生活保護費を減らしていき、充分な収入を得られるようになったら生活保護を解消するというシステム、生活に困窮する人だけでなく、実家が豊かで充分な支援を受けられる人以外は、ここからスタートすればいいのではと思った。

こんなことを言うと、誰も働かなくなると言う人がいるが、働かずに生きていけても、何かやりがいのある仕事をしたい、何か世の中に役に立ちたいと思う人のほうが多いと思うし、楽をしたい人を無理に働かせることもないと思ってしまう。

そもそも家賃など、普通の生活を送るのにもお金が掛かる今、生活保護ではなくベーシックインカムのようなものになるかもしれないが、何らかの支援が必要なのではと感じる。


「私が望むのは、ハンディキャップを負ったものが、働かなくても心やすらかに生活できる社会だ」

「私は弱いものが弱いまま尊重される社会を目指している」

筆者の言葉には心から同意する。

働かなくても大学に通わせてもらえるだけの親からの支援があったこと、他の人が「がんばって」ようやくできることを難なくこなせる力があること、それは当たり前のことではなく、ものすごく恵まれた環境にあるのだ。

がんばれる人はがんばれる恵まれた環境にあることを感謝し、がんばれない人のために社会に還元することが真の平等な社会でなないのかと最近、考えている。





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2021年07月11日

「プンクトゥム:乱反射のフェミニズム」を聞いて考えたこと

NEW ERA Ladies というフェミニズム雑誌(「フェミニズムZINE」という言葉で紹介されていたが「ZINE」という言葉が分からず調べてみたら、「個人で作る(おしゃれな)雑誌」という意味だった)が主催する7回に渡るトークショー「プンクトゥム:乱反射のフェミニズム」をアーカイブで聞いた。

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視聴期間が1ヶ月もあるので余裕を持っていたら、なかなか聞けなくて、最後の2回は駆け足で聞いてしまったのだが、回ごとに簡単な感想ツイートを書いていたので、改行や(ツイッターには文字制限があるので)2つ以上に分けたツイートをひとつの文書にするなどの編集をしながら、張り付けてみる。


第1回目 いちむらみさこ×栗田隆子
『強くなくてもゴッツリしたものに対峙する』
確かに、地球を作ったわけでもないのに不動産を所有するってどゆおこと?家賃なんて払わなくていい!という主張にもうなづけるものの、自分が楽しく暮らせる家は欲しいよな。


第2回目
町山広美×ハン・トンヒョン
『60年代生まれの/朝鮮半島にルーツがあって日本育ちの/その場所からあたりまえに意見を言ってきた女性2人が話す』
アナ雪もすずさんも「女性の怒り」がスルー、伝統衣装を女子だけが着てることなど興味深かった。


第3回目
堀あきこ×前川直哉
『「やっかいさ」と向き合うーージェンダー・セクシュアリティ・BL』
女性問題やジェンダーに関することを女性が話しても聞いてもらえず同じことの繰り返しって本当にその通り。おそらく普通の男性にとってはどうでもいいことなんだろう。

高校生のときには当時「やおい」と呼ばれていた男性同性愛小説に少しハマったけど、今はBLや他の普通のエロコンテンツってまったく興味ない。フィクションを楽しむより、現実の方を充実させたいから。

4回目
堅田香緒里×菊地夏野
『ネオリベ回避のアイディアをエア車座になって探ろう!』
性売買が認められるのは女性の権利としてはいいんだけど、それによって性売買で稼ぎたい人たちによって消耗させられることが「ネオリベフェミ」という言葉で解きほぐされるかも!?

今までで1番興味深く感じた。『99%のためのフェミニズム』 でも思ったけど、ではどうしたらいいんだろう?自分のなかではでは好きなことで稼げばいいやんと決めてるけど、もっと多くの人ががんばらなくても生きている世の中になるにはどうしたらいいんだろう。とりあえず、一通り聞いて、もう一度聞き直したい。(←結局できなかった)

第5回目
伊藤書佳×要友紀子 『フェミニズムとメリトクラシー』
第1回目に続いて不登校の話。競争し能力のある人がそれに応じていい待遇を受けられるのは学校教育によって刷り込まれたものという話はなるほどと思った。それにセックスワークの問題がどう絡んでくるかと思ったら、要さん自身が高校生のときから制服や厳しい校則に対する反対運動をしていたそうな。大学受験のときに自分が合格することで落ちる人がいるのが嫌で受験したくなかったとのことだが、風俗ってかなりの競争社会で自分が働くことでもっとお金が必要な人の仕事を奪うことに悩んでいたので、現役のときで、リアルタイムに効いていたら質問したいぐらい。

誰でも稼げて女性が足りないぐらいだったひと昔なら女性同士の競争もなく、実社会での競争やがんばりをことが嫌な人が楽に働ける「逃げ場」だったのかもそれないが、今は学校や一般社会より競争が激しく能力主義になってしまっている。

セックスワークが女性の社会進出を促進する(セックスワークをしながら資格を取る、開業資金を貯める) 部分もあるということだが、それはほんの一部の成功者だけでないのか。むしろ風俗で頑張って働かなくても好きなことをして生きていけるシステムあればと、要さんの考えをもっと聞きたくなった。

困窮し風俗で働くことを自ら選んだとしてもそんな状況に追い込まれてしかたがなく選んだのは主体的な選択ではとはよく聞くが、性売買を辞めさせる支援を受けて別の仕事に就いたとしても、周りの人から勧めれて選んだだけで主体性はないという話は初めて聞いたよ。


第6回目
鈴木みのり×ライムスター宇多丸 『マイノリティの政治とポップカルチャー、視点の交換 〜クィア、エスニシティ、交差性をめぐって〜 映画のことはよく分からないがマイノリティーの映画が当事者への偏見を増幅させることもあるんだな、気をつけなくてはと思った。

2時間ぐらいかと思ってたら、約2時間50分、3時間近くあった。途中で「ピンフ」って言葉が出てきてびびった。「女衒」はまだ使うけど、「ピンフ」はほとんど聞いたことない言葉だけど、映画業界ではよく使うかな?(英語だとよく使うのかも)

第7回
春日そら×髙谷幸×崔江以子×長島結 『移民・難民・外国ルーツの女性や性的マイノリティとともに生きる〜草の根なめんな〜』風俗で働いたことはあっても性的被害も受けず圧倒的マジョリティとして生きてきたので、差別側に回らないよう気をつけなくてはと感じた。

ツイッターだと同じ方向を向いている人にもだけ回るからFacebookやインスタグラムでもという意見、その通りだと思うけど、セックスワーカー支援者に自分の都合の悪い投稿を削除させるための脅しとして実名でやってるFacebookに書き込みされたからなぁ……😰



やはり、自分が関わってきた風俗業界のことに対する言及が多く、反対に映画がテーマになった回は差別はいけないぐらいの感想しかなくて、笑ってしまう。

(元)不登校児、ホームレス、在留外国人、性的マイノリティー、性売買従事者、移民など社会的弱者の権利主張やそういった人たちにどう接するかという問題は、当事者にとっては切実でも、近くにいてもそれを気がつかない「強者」にとってはないのと同じ問題である。

私はたまたま風俗業界で働いたことがあるので、カツカツの生活を送っているのに、完全歩合制の仕事で希望する収入が得られない、入店時が1番仕事があり、どんどん稼げなくなっていくことが多く、だから常に「次のこと」を考えざるをえない貧困状態に生きる人たちを垣間見ることができたが、日常生活ではほとんど出逢ったことがない。

在日外国人の知り合いもいたのだが、焼き肉チェーン店のオーナー(夫人)であったり、専業主婦のかたわら趣味が高じたサロン系スクールを開いたり、偏見に苦しんでいることなど感じられないほど輝いている人たちだったし、飲食店や自営業の知り合いもコロナ禍でもそれほど困っている話は聞かない。

私にとって、弱者の叫びはツイッターなどネットを通してのみ知る、どこか別の世界で起こっている出来事のようなものかもしれない。

それでも、やはり、自分が恵まれているからこそ、恵まれている人と恵まれているいない人と圧倒的な差があること、生まれた家の経済状況や自身の能力に「差」があるのはともかく、それを助長する社会システムになっていることはよくないのではと感じてはいる。

その気持ちが空回りし、持たざるもの、恵まれない人に寄り添うどころか反感をかうことになるのを恐れているが、自分のできることを模索したい。




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2021年06月27日

姫野桂さん『生きづらさにまみれて』を読んで

姫野桂さんの『生きづらさにまみれて』を読んだ。

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姫野さんと言えば発達障害者や、発達障害とは認定されなかったがその傾向がある「グレーゾーン」と呼ばれる人たちへの取材記事やそれをまとめた本の執筆で知られるライターさんで、自身も発達障害者であること(や風俗で働いていたこと)を最初の本で告白してる。

取材記事の導入部やツイッター、noteなどで、自身の生きづらさや波乱の人生を吐露してることも多かったが、今回の本で自身の人生を20の章に分けて綴っている。

第一章は生まれた場所や家族、小学生時代のこと、第二章は大学に入ってはまったヴィジュアルバンドのことだが、年代順に並んでいるわけでもない。しかし18章コロナウイルスの章からコロナ禍での精神的な落ち込みに触れ、最終章「ライター」では、いずれ小説で書きたい、小説家と名乗れるれるようになりたいと未来への計画を綴って締めくくる。

細かい章立てにしたのは読みやすく、感想ツイートも書きやすかったが、章タイトルに収まり切らない内容になっているところもあり、少し気になった。

本人の体験を元にして書かれた部分と、一般人に取材して書かれた部分(「婚活」や「サラリーマン」、仮名)、有名人の動向を見ての推考(ストーカー被害にあったタレントや整形したビジュアルバンドのメンバー、実名)があり、一般人への取材は、姫野さんの知名度を上げるきっかけとなった発達障害者への取材記事を思い立され、取材対象を見つけ、何人かの人の話を聞いて1つの記事にまとめるライターとしての仕事の確かさを改めて感じたし、世の中で起きていることの裏側を読む推察力もすごいと思う。

ただ、1つ気になるのは、「グラビアアイドル」の章でふたりの(元)グラビアアイドルを、1人は仮名、1人は実名で取り上げていたことだ。

グラビア撮影の現場で、自分は望まない、了承してない姿での撮影を強硬されることがあり、1人はきちんと抗議し自分の了承できる形での撮影を行い、「グラビアで注目され普通の芸能活動ができる」という夢が叶いそうもない年齢になりつつも、また夢を諦めきれずグラビアを続けている。もう1人は拒みきれず望まぬ形での撮影を行われ、その記憶や今も出回っている写真が時折ネットにも上げられることに苦しみながら、フェミニズム活動に力を注ぐようになっている。

そんな対比を描くのはおもしろい反面、後者の今の活動を書く上で必要と実名を出していまったために、触れられてくにい過去をほじくり返すことになってしまったようだ。

裁判沙汰になる話ではないが、本人も苦情を呈しているように、ここまで書くのなら事前に確認すべきだったかと思う。

https://ishikawayumi.jp/metoo20210624/

それはともかく「テーマに沿った取材対象者を探し出して取材し、なるべく自分の主観を入れないよう客観的に本人の言葉を伝えてつつ自分の感想も少し入れる」絶妙さ、特に「サラリーマン」の章で、サラリーマンとして生きる男性の幸福を認めつつ、そこに向き合いたくない部分をわざわざ掘り起こさない「鈍感力」が幸福をおられるライフハックと結ぶところは素晴らしいと膝を打った。

姫野さんとは親との関係性など、似たような環境で生まれた育った共通項も多いのに、「生きずらさ」を感じたことがほとんどなく、その違いは何かと考えてきたのだが、その答えがこのエリートサラリーマンの「鈍感力」にあるのかもしれない。

それは単に私や取材対象者のように恵まれている人の話だけでなく、そういった恵まれた人の頂点にいる施政者の鈍感力が恵まれない人への洞察に欠け、貧困格差の広がりのような社会問題の原因となっているのだろう。

ライター的な筆力で書かれた部分も見事だが、自身についてか書かれた部分もとてもよく、章ごとにちらちら見えるは母親との関係をもっと読んでみたくなった。

前から気になっていた「風俗嬢」の部分はかなり自身のことが書かれていた。

ライターの仕事が忙しくなり、風俗店に居場所を求めなくてもいいことに気がつき、ずっと出勤していなかったお店に退店のあいさつに行く。

そういう場合はそのまま放置するか、いつまでもお店のサイトに自分のプロフィールが残るのが嫌な場合は電話かメールで辞めることを伝えるのがほとんが、わざわざ出向くのはそのお店が働く女性を大切にしていたこの業界では珍しくいいお店だったからだろう。

約7年、いくつものお店で働いてもそういう機会に恵まれなかった私にすごくうらやましいが、この章のラストがとてもいい。

姫野さんは純文学を書きたいそうだが、こんな文章をぜひ小説で読んでみたいと願う。

今後の活躍を期待している。




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