夢・引き寄せ・人生訓

2018年03月28日

趣味のある人とない人

これからどんどんいろんなことで「二分化」が行われてきているが、最終的に、分かれるのは「何か趣味を持っていて、それを行うことが生き甲斐になる人」と「何かを消費するだけの人」になりそうだ。

今も、趣味を持っている人と持っていない人の違いを感じることも多いが、これからどんどん人工知能に「仕事を任せられる」ような時代になり(仕事を失われた人は困窮すると思っている人も多いが、そのような不安定な社会が容認されるはずがなく、最低限の生活の保証がされるはず)、余った時間を何に使うかということになったとき、無料のゲームやネット記事や動画を見て楽しむ人と、何か「趣味」を行おうとする人が出てくるだろう。

もちろん、自宅でゲームや動画を見るだけの行為も「趣味」と呼んでもいいだろうし、そこから「製作者」の道に進む人も出てくるだろう。それが仕事になる人と、それが「お金になら」くて、単に「趣味」で終わる人もいるだろう。

ただ、「お金を稼ぐ」「稼げない」なんて、単に「お金が貯まるか貯まらない」の違いであって、お金を得られなくても「好きなことができて幸せ」であればいい。

しかし、なんか毎日、単に暇つぶしをしているみたいで、毎日つまんないなって人もいて、それが「趣味を持つ」か持たないかの違いになってくると思う。

これから「お金」というものの価値ががらってなくなって、では、「何をするのが好きか?」「どれだけその体験をできたか?」でその人の人生の価値が決まってくる時代になる。

小さい頃から塾で勉強ばかりしてきた、親に勧められたスポーツをしてきたけど、本当は好きではなかったという人は「自分がしたいことがなにか」分からないまま人生を終えそうでかわいそうだ。

femmefatalite at 06:44|PermalinkComments(0)

2018年03月22日

優れた親のもとに生まれることの不幸

安い店とそうでない店との違いというわけではないだろうが、今の店に移ってから、プレイが終わって残りの時間はゆっくりテレビを見るということが少なくなった。

別にエッチやことをするのが嫌な訳ではないし、適度なあいずちを打ちながらテレビを見る方が辛いから、時間いっぱいプレイの方が楽だけど、この前、お客さまと見たバラエティーには考えさせられてしまった。

ゲストに研ナオコ、西岡徳馬、多岐川裕美の3人が出てきて、3人の共通点は「娘が親のコネで芸能界デビューしたものの、泣かず飛ばす」ということだった。

西岡徳馬さんの娘さんは途中で退室したが、「親のコネで高校を舞台にしたドラマの生徒役で出演」したぐらいで、特に目立った活躍はできず、大学進学後は舞台俳優の道を歩もうとしているそうなので、もし、才能や本人のやる気があれば、売れない役者の道を歩み続けることができそうだけど、母親のステージのバックコーラスをしながら、衣装替えの合間に一曲だけひとりで歌を歌わせてもらっている研ナオコの娘や、おそらく親の金でジムに通いながら、トレーニング中の写真をSNSに上げて「みんの憧れの存在になりたい」と言っていた多岐川裕美の娘は特に甘い感じがした。

まだ、料理研究家になった月丘夢路の娘(井上恵美)や 加山雄三の娘(梓真悠子)みたいに、華やかなライフスタイルも売りにするの料理研究家になればとも思うが、多岐川裕美の娘は若くしてバツイチであり、料理などしなさそうだ。

そもそも小さい頃からその活躍ぶりを身近に見ている親と同じ仕事に就きたいと思うことは誰にでもあることだ。だが、高級官僚や一流企業の正社員、医者や裁判官、弁護士のように資格が必要だったり、採用試験が難関なものなら、どんなになりたくても本人に実力がなければなれないし、そこで「親も◯◯だから」が通用しなければ、親が助けることもできない。

いや、一流企業の場合はコネ入社ができるし、案外「親のコネ」や親のあとを継いで社会的に立派と認められる立場につけている例もいっぱいある。

しかし、芸能界の場合は「親が◯◯」が協力なネームバリューとなり、デビューまではできるものの、「ファンがついて売れるか売れないか」は本人の努力、才能しだいで、研ナオコの娘も多岐川裕美の娘も「歌はちょっとうまいけど、顔はそれなりにかわいいけど、そもそも親のコネを使わなければデビューできなかったのでは?」と思わざるを得ない気がした。

VTRの合間に親たちの表情がテレビに写し出されていたかま、苦虫を噛んだような顔をして目には涙を溜めていた。

安易にデビューさせた親もどちらも甘いが、かなり辛いのだろうと思う。

まだ、ホストにはまって借金をこしらえてAVに出たりしないだけ、ましなのかも 知れないと思ったら、今は飛田新地にいるらしい(そして、冷やかしが増えるから迷惑だとネットで叩かれていた)二世タレントさんが一層気の毒に思えてきた。

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2018年03月17日

ひとつの道しか選べない人生

この前、ママ友とランチしていたら、子供を私立小学校に通わせた上、塾通いをさせているママさんがいて驚いた。

塾に通う金銭的余裕がなく、学校の授業についていけなくなる貧困家庭の子供のために、ボランティアで勉強を教える組織の必要性が叫ばれているなか、私立の学費と塾代両方支払える家庭もあることも衝撃だが、夜9時頃まで勉強している小学生の存在にも戸惑いを覚えた。

その塾には他の私学に通っている子供も多く、そういった家庭では教育にできるだけ力と財力を注ぐのが当たり前になっているのだろう。

しかし、そのお母さんは「けっこう周りに流されているところがあるかな?」とつぶやきていた。

その家庭は開業医の家系で子供も当然医学部に行き、医者になる道を求められているそうだが、もし、私がその家の嫁で、子供に「決められた道」しか選べないよう育てるのは辛いなぁと感じた。

だからそこ、お見合いで「子供が家業を継ぐことを求められる家」への縁談があっても断ったのだが、実際にサラリーマンの夫と結婚してよかったと思う。

ところで、私のもうひとつの顔である「風俗嬢」のなかにも、教育ママと同じようなめんたるで生きているような気がしてならない。

世の中には様々なしごとや生き方があるのに、「お金を稼げるのが一番」と世の中から提示された1番分かりやすい職業を選び、どんなに嫌でも「お金が稼げるから」と他の道を選ぶことを拒否している。

最も自分の好きな道を歩めばいいのにと思う。


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2018年03月12日

自分の人生を好きに生きる自由と家庭を持ち子供を育てる責任

いい年をして、結婚もせず自由に生きるこち亀の両さんに部長が「堅実な人生を生きろ」説教するひとコマを引用したツイートを読んで、気がついたのだけど、こち亀の両さんや、男は辛いよの寅さんとか、いい年して自由に生きている男性って、実際にいたらひんしゅくものだけど、漫画や映画の世界では「人気者」で不思議だ。

もしかしたら、多くの日本人は、結婚も出産子育てもせず、もっと自由に生きたいと思っているけどできないので、そんな「理想の人生」送っているキャラクターが羨ましいのだろうか?

私は家庭を持ちながら風俗の仕事をしている自分の人生に満足しているが、これからお客さまが多く来そうな時間帯に家に帰えらなければならないときに、これから出勤してくる、おそらく独身の女性が店に来るのがうらやましく思えるときがある。

私が結婚したのは、周りのプレッシャーやずっと独身であり続ける自分自身の人生の展望のなさにほとほと嫌気が差したからで、もしあのまま独身なら、年下の親戚が結婚、出産する知らせを受けるごとに病み、親の死に直面するごとに、孫の顔を見させてあげられなかった後悔にメンタルを壊していたかもしれない。

(母とは仲のよくない嫁の代わりに介護を担うことで実家での居場所を作り、甥、姪に慕われるかもしれないが)

ともかく、今の人生は自分が望んで選び取ったもので、遅くなっても起きていて、自分の帰宅を待ってくれている子供の存在は何より欠かすことのできないとものだと身に染みている。

子供は「お母さんがオバサンになって稼げなくなるまで風俗の仕事を続けろ」言ってくれた。

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2018年03月06日

他人の痛みが分からない人

痴漢やセクハラを非難する女性に「自分が相手にされないおばさんのネタミ」という意見があるそうで驚いた。

私は「自転車圏内」の学校に通っていたため、そもそも満員電車にほぼ乗ったことがなく、痴漢の被害はないが、「痴漢によくあっていた」という人の話を聞くと気の毒に思うし、痴漢だけでなく、レイプやセクハラという犯罪の話を聞くたびに、そういった被害が起こらない世の中になってほしいと願う。

何も女性が被害にあう性犯罪だけでなく、ニュースで悲惨な事件を聞く度、あるいは貧困に苦しむ人の話を聞くたびに、気の毒に思い、なんとかそんなことが、起こらない世の中になればと思う。

しかし、それを「自業自得」「しかたがない」と思う人がいたり、そういった「かわいそうな人」を自分の欲望を叶える「ネタ」にする人もいて、すごく驚く。

まぁ、まったく関係のない人の痛みを自分の痛みのように感じる人のほうが少ないだろうが、例えば目の前にいて、快楽を共にするはずの人の「痛み」が分からない、「苦しんでいるのが自分の快楽に繋がる」ということが、まったく理解できない。

セックスというものは、お互いに相手と自分が一体になり、身体も心も共有することだから、相手が気持ちよくなるのを感じることが、自分の気持ちよさにも繋がるが、「女性が苦しんでいる」ことが分からず、むしろ気持ちよく見えてしまったり、「相手の苦痛が自分の快感に繋がる」特殊な性癖の人もいる(SM)。

しかし、多くの場合、セックスする相手の人格や感情を認めず、「単なる自分に快楽を与える肉体」としか感じ取れないひとが多くなっている気がする。

それは性を意識したときから「エロの象徴としての女体」に触れてきてしまったからで、そういう人のために、早くセクサロイドが開発されたらと願う。

恋愛も結婚も子供も作らなくていいから、自分に都合のいいエロコンテンツの世界で生きていってほしいと思う。





femmefatalite at 06:19|PermalinkComments(0)