誰かを選ぶ罪悪感は誰かを選ばないことでもあるから優れた親のもとに生まれることの不幸

2018年03月21日

飛田新地が過酷な労働環境にあること

ある飛田新地愛好家が、「飛田を隠し撮りしたり上がる気のない男性や女性が冷やかしに見て回ることはなぜいけないか?」をツイートし、モニュメントにまとめてた。

「飛田は(飛田新地だけでなく普通の風俗もだが)出来高制なので客に上がって一銭も稼げない」こと。

「飛田のメリットのひとつは実物の女性を見て選べることであり、だから仕事がなくても数分ごとに、もし、他に女性が出勤してなかったり、ずっとあがりっぱなしだったら、ずっと店頭に座っていなければならない」こと

冷暖房はかなり効かせてはいるが、玄関の扉は開けっ放しで、夏は暑く紫外線を浴びたり、冬の寒い日は寒さに凍えることもある。

モニュメントの表題を読まなければ、飛田嬢の労働環境の悪さを訴えているのかと思うほどだったが、こんなに大変な思いをしているから迷惑なことはするなと言いたいらしかった。

しかし、なぜ、これほど多くの人々、特に外国人が飛田新地を訪れるのは、妖しいピンクのネオンが通りを照らすのとともに、「禁止されているはずの売春が堂々と行われ、売春が店頭で客を引く様子が様々と分かるから」である。

だから、同じ「本番店」であっても、ソープ街が「盗撮」されることはないし、日本橋のように、客と風俗嬢がひっきりなしに行き来する光景をわざわざ「盗撮」する人はまずない。

ホテヘルは条例や自主規制によって、店の看板をあげることを禁止され、ネットやクチコミ頼りの集客しか行えないが、しかし、その規制によって生まれた「写メ日記」で大きな集客効果を上げることもできている。

「こっそり、しかし、堂々と売春店を経営する」という手段がすでに時代遅れになっているのだ。

飛田新地の経営者が行っているように「違法を前提で働いているのだから、盗撮されても文句は言えない(女性を守る気はない)」ことをもっと自覚して働き場所を選ぶべきだと思う。


他にもいろいろ性を売って稼ぐ道はある。

femmefatalite at 06:43│Comments(0)風俗論 

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