2017年12月

2017年12月31日

お金は稼ぎ方より使い方ほうが大切

お金はどんなふうに稼ぐかより、どんなふうに使うかがより大切だと思う。

お金をどんなふうに使おうと、その人の自由だし何が無駄遣いで何が必要なものかなんて決められない。

ただすごく思うのは、どんな手段で稼いだかより、どんなふうにものにお金を使ってきたかのほうが、より重要でその人の人生を左右するものだということだ。

人々の記憶と場合によってはいつまでも記録に残るAVは別だけど、風俗で働いたとしても、その記録が一生ついて回るものではないし、親や知り合いにバレたとしても、その関係を経って新しい人生をやり直すことはできる。

もし、風俗で働いて得られた金で学校に行って、資格を身に付けたり、新卒で就職できたとしたら、それその人の人生におおいにプラスになるし、ホストクラブで豪遊したりブランドモノを買いまくったりで使ってしまえば、手元にお金が残らないどころから、ぜいたくが身に付いて、地道な生活を送るのが耐えられない感性を持ってしまう。

このままおなじだけ稼げたらいいが、そんな人はほとんどおらず、風俗を辞めたり、普通のOL並しか稼げなくなる人がほとんどだ。

最近、顔やボディを整形する人、整形費用を貯めるために風俗で働いている人が多くて心配になる。

コンプレックスだった一重を二重にするぐらいならともかく、全身を自分の好きな容貌に変えるために、いくら働いても追い付かないぐらいの金額を貯めようとしている人がいるが、その人が求めているのは、世間的にきれいと言われている人、美貌を武器に世の中から注目を浴び、いい思いをしている人ってだけで、自分の美意識によるものではない。

そもそも、美貌が武器になるのは風俗など女性性を売る職業だけで、もし風俗を辞めたら単に自分の自己満足を充たすだけで、なんの特にもならない。

ただ、普通の人からは不自然に思える容貌を持ちながら、その顔、その身体で生きていかなければならない。

なんだからおばさんの説教くさい話になってしまったが、自分が20年後、30年後になったときのことを考えて欲しい。

2017年12月30日

みんながみんな同じ罠に堕ちていく

風俗やAVなどアダルトな世界は華やかな一面もあるが、たぶんそれはほんの一握りの人や一時期的なものに過ぎず、多くの人が一般的な人より不幸な目に合っている人のほうが多いのかもしれない。

しかし、集客も求人広告も不幸な面は表には出さず、毎日楽しくエロエロで、金銭的にも満たされた日々を送っているようなアピールばかりだ。

そもそも、性に対する感覚もも人生一般における価値観も人それぞれのはずなのに、なぜかみんなが同じことを考え同じものを求めていなければならない強迫観念にかられているみたいだ。

お金がいっぱい稼げて、整形して流行りの顔になって、男に貢いで大切にされるのが、本当に自分の望むことなのか?

なんでみんなこんなに「本当に自分が求めるもの」を探らないのか不思議だ。




femmefatalite at 06:25|PermalinkComments(0)風俗嬢 

2017年12月29日

かわいそうな人からなにかされても、同情心しかわかないこと

人をレベル分けしたり、区別するのはよくないと思うけど、やっぱり「前向きで現状を変える力を持っている人」と「不満はあっても愚痴ったり権力に迎合するだけの人」と、二種類の人がいると思う。

ふたつにばしっと分けるより、どっちつかずの人もいるし、態度を変える人もいるけど、とっちつかずで悩んで現象維持でいることは、後ろ向きだと私は認定する。

世の中そんな人が多くて「よくない未来に向かっている」と思いつつも、そのままやり過ごしてどんどんよくないほうに転げ落ちていく気がする。


ただ、風俗で働いているときにで会う人と、プライベートで出会う人とは、まったく状況が異なり、風俗で働いている女の子がどんなに稼いでもホストや整形でどんどんお金を使い、なにも残らないまま歳を重ねるのとは違って、結婚し子供を産み育て、子供の手が離れたからまた仕事をしたり、趣味を再開するって女性では、全然違ってくる。

もちろん風俗業界に関わる人でも前向きな人もいるし、プライベートの知り合いでも闇を抱えている人もいる。

ただ、愚痴ったり人を攻撃する人はうまくいっていないかわいそうな人だから、そんな人になにかされても、かわいそうにとしか思えない。

新しい年にはそんな人とのか関わりをもっと少なくしていきたい。

2017年12月28日

古きものと新しいもの

時が流れ、すべてのものが同じ状況を保つことはないと私は観念している。

それは寂しいものではあるが、時間を止められない限り、それはしかたがないことだと思っている。

一期一会という言葉があり、それは茶道の祖、千利休が心に刻んでいたもてなしの言葉ではあるが、たとえ毎日会う人に同じお茶を差し出すのでも、その日、そのときの瞬間はただ1度だ、だからもてなす側だけでなく、もてなされる側もそのときを大切にすべきだと聞いたことがあるが、それはもてなす場だけではなく、どんなときもそのときは1度切りだから常にそのときそのときを大切に過ごすべきと聞いたことがある。

どんなに自分が過去と同じ今日を望んでいても、自分も世の中も変わっている。

老舗のお店、名家ほど新しい技術や人の心の移り変わりに敏感で、古いものを残し、伝統を守るためにどう新しいものを取り入れていくかを真剣に考えている。

どんな伝統があろうとそれなくなるものはなくなるのだし、なくなりたくないのなら、今の世の中に合うよう変えるべきところは変えるべきでないかと思う。

古いものを残すために努力するのも大切だが、そのとき、そのときを真剣に生きた人は、過去が変わっていくことに未練はなく、だからこそ変わることに恐れがないのかもしれない。




2017年12月27日

名前をつけられた女

主に企画ものと呼ばれるAVに出演し、役名をつけられることのない女優さんたちへのインタビュー集が元になった「名前のない女たち」という映画の主題歌が「CALL MY NAME」ってタイトルだと聞いて、なんだかすごく切ない気持ちになった。

取材された女性が書いてほしくないことを勝手に書かれ、勝手に映画化されたと怒りの声を上げる騒ぎにもなっていたが、取材されていた女性たちにも見てほしい、この主題歌を聞いてほしいと思った。

映画では取材である中村淳彦さんも主役のひとりのような取り上げられ方をされているようで、それにもすごく興味を持っている。


ところで、私も中村淳彦さんに取材され、それがのちにある本の一章になったが、そのときも、またAVに出たときも勝手に名前をつけられた。

どちらも「○○こ」という古風な名前で、風俗嬢して働き出すときに、適当につけた若い女の子っぽい名前より(知り合いの娘さんの名前をつけた。同世代でそんな名前の女性にはまず会ったことない)、「○○こ」のほうが、40代の女性っぽくて男性受けもいいのだと感じた。

名前をつけられるという経験は、普通は一生に1度、産まれたときに両親によって名付られるだけなのに、風俗や水商売をする女性は、店を変わる度に自分で名前を変えたり、お店の人に名付けてもらう。

私は別の名前をつけたり、つけてもらうことは、それだけ自分の人生が豊かになる気持ちでいるが、名前をつける価値をみとめてもらえない人や勝手に名付けられるのを不快に思う人もいるのだ。

ところで、「底辺」ってどういう人生をいうのだろうか?

その答えも映画では描かれているのだろうか?

femmefatalite at 06:47|PermalinkComments(0)風俗嬢