2017年06月

2017年06月30日

イカせることよりも気持ちを解きほぐすことを求めようよ

年齢も関係するのかもしれないが、私はかなり感じやすく、イキやすい体質で、たいていイクのでイクことに特にこだわりを持たない。

それよりも好きな人としたときだけに起こる「特別な感覚」を味わうことが重要だけれども、それはその人とだけ起こるもので、他の人とではなし得ないものだろう。

身体のどこかを刺激されて気持ちよくなってイッたとしても、それは肉体がそう反応しただけで、精神的な満足はまったく異なる。

そういうプレイが好きな人もいるだろうが、いきなり攻められて力ずくでイカされてもうれしいと思う人は少ないだろう。

女性の身体の構造は同じだから、「どこをどう刺激したらイク」というテクニックは学べても、その女性がどんなふうにふたりっきりで過ごして、どんなふうに攻められたら気持ちよくなれるのかは、人それぞれだ。

「イカせたい」というのは男性の勝手な願望で、すべての女性が「イけるセックス」を求めているわけではない。

それよりも、自分が心からリラックスできてその人の前では何も気取らず素直な、それこそ「裸の自分」をさらけ出せる時間を過ごせることを望んでいるはずだ。

そして、単に身体が反応させるより、相手が心から満足いくセックスがらできたほうが、自分も満足できると思わないか?

心なんて求めなくて、女の肉体だけ制覇したいならそれでも構わないけど。





femmefatalite at 05:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)恋愛とセックス 

2017年06月29日

『深読み』のAV強要問題を見て

6月24日にNHKで放送されていた「深読み」という番組でAV強要問題を取り上げていた。

途中から録画していたのを、もう一度きちんと見てみた。

番組の流れとしては、被害防止のために「悪徳な業者をきちんと取り締まる法律などの設置を目指す」ことと「子供が被害に合わないように教えないといけない(が、AVや性のことなど話しづらい)」というふたつのことが提案されていた。

政治家さんには「AVに関する新しい法律を作る」ことよりももっと重要な政策に取り組んでもらいたいと思うし、まず業界内で「意に反してAVに出てしまう」女性を減らす取り組みをしてほしいと私は思う。

武蔵野大学教授の小西 聖子さんが

「学校でいじめがあったりやなことがあって街に出ている弱い状況にあったら断れない」

「AVに出ることが、どれだけ人を傷つけてしまうことなのか、大変なことなのか、どういう労働なのか見えてないなかで契約してしまい、あとで傷つく」

とおっしゃっていたが、スカウトや契約段階でもっと「AVに出ることで起こる不都合を説明し、それでも出たいか」の意思確認を行わなければならないのかもしれない。

(そうしなけれは、あとで「有名になれると言われて騙された」と言われてしまうかもしれない)


また、作家で映画監督の森 達也さんが

「若者が変わったのはSNSなどネット環境の変化。誰もが発信でき反応がある。メディアと自分、個と公共の垣根が下がってしまい、簡単に足を踏み出してしまう。そこで断る強さを求めるのは酷」


小西 聖子さんが

「今は引きこもりでもネットで社会と繋がれライブチャットなど性を売ることができるようになった。脆弱な人も消費されるようになった。」

とネットが青少年が「自分の身体を売りやすくなる」状況を作っていることを言及しているのが気になった。

AVもそうだが風俗も、店舗やスカウト、代理店による「ネットでの求人」が活用され、多くの女性にとってネットが風俗の仕事をはじめるきっかけになっている。

多くの場合、風俗の仕事をしてしまったことによる不都合、親や彼氏にばれてしまったり、性病に掛かってしまったり、収入が増えたことで金銭感覚が狂い、以前よりお金に困るようになったとか、ひどいお客に当たったり、売れなくなって病んでしまうことなどにはまったく触れず、むしろ「風俗の仕事をはじめてこんなにキラキラした人生を送れるようになりました!」とほんの1部の体験段を載せているものもある。

もしかしたら、「お金を稼げる」ことよりも「充実した毎日を過ごせる」ことに、夢を描いてしまう女性もいるかもしれない。

AV業界に起こっていることが、次は風俗業界でも起こるかもしれないことは、風俗業界に携わる人も忘れてはならないと思う。

femmefatalite at 05:27|PermalinkComments(0)AVについて 

2017年06月28日

最近気になる若者の動向

最近の若者はなんてことを言うと、私が年寄りみたいなので躊躇するが、気になっていることがふたつある。

ひとつは元アイドル議員の「批判なき選挙、批判なき政治」の発言に見られるように、「誰かを批判したり、誰かから批判するのは悪いこと」と思っていること。

それぞれ立場や考え方の違う人がいて、誰かの「正しいこと」が誰かの「よくないこと」になることもあり、それをうまく折り合いをつけることが、大人として生きていくことなのであるし、どんなことにも「初めから完全に正しい」ことなんてなくて、少しずつよくしていくことに「批判」は大切なことなのだ。

もうひとつは、「心のなかで思っているよくないことを隠すよりそのまま言ったほうが素直でいい」ということである。

最近、ツイッターで人気の男性アカウントさんは、自分のダメな部分を素直に表現してて、その率直なつぶやきが女性から好感を持たれているようだ。

ただ、自分の情けない部分に向き合いそれを発信するのはいいが、そこに「開き直り」があってはダメだ。

自分のダメな部分を認めながら、もっとまともになりたいと思っていることが言葉の端々から感じられる人にはエールを送りたくなるが、「みんなどうせ楽にいきたいんだろ」とか「この先、生きていても意味ないでしょ」とか開き直るのはだめで、その差は「心のなかで自分の人生を諦めてない」ことであろう。

中村さんとか素人童貞さんとか、「自分が結婚して子供を育てるなんて無理、風俗やオフパコのセックスで充分」と本当に諦める前にいい出会いがあることを、彼らのツイートを見るたびに思ってしまう。

なんだかホントに年寄りくさいけど。


2017年06月27日

マスコミは国民の鏡なのか?

「マスコミがくずなのは国民がくずだから」と妻を亡くした著名人の家まで押しかけて麻酔薬取材した件について、そう主張するブログを読んだけど、私はそれは違うと思った。

というのも、人は誰でも流されやすく、初めから信念を持った人なんてそうないなくて、今この世のなかにあふれているものに感化されやすいから。

それからまだテレビは権威があるから、もし、ネットで「芸能人の自宅に押しかけてコメントを取ろうとするレポーター」の映像が配信されてら非難されても、テレビでそれをしたら「これはいいことなんだ」と思ってしがいがちになる。

おそらく多くの現場の人は「本当はこんなことをしたくはないけど上からの命令だからしかたがなく」しているうちに、段々鈍化していって、それが当たり前になってしまっているのだろう。

これからどんどんネットでの個人の発信が高まり、マスコミを使わなくても「自分の言いたいこと」が伝わるようになったら、こんなこともなくなるのかもしれない。

ワイドショーなんて待機室のあるお店で働いているときしか見なかったな。





2017年06月26日

見るあほうより踊るあほう

昨日、大阪中央公会堂で開かれたホリエモン祭に行ってきた。

堀江氏が手掛けるグルメサイトで評価の高いお店の料理が食べられるグルメ祭も開催されたが、私は船上パーティーとトークショー、そしてアフターパーティに参加した。

トークショーが最前列で見れるプレミアムチケットを購入したが、トークショーを最前列で見られるより、アフターパーティの乾杯時に最前列にいられたり、堀江氏やトークゲストに質問できる権利もついていたらよかった。それなら5万円では安すぎるのかもしれないが。

たくさんの学びがあった1日ではあったが、トークショーの最後に堀江氏がこんなことを言っていた。

「このイベントは自分が主催する堀江貴文イノベーション大学のメンバーが運営していた。『踊るあほうに見るあほう、同じあほなら踊らな損、損』という言葉があるが、祭に来る人より運営している人のほうが楽しい。君たちのお金で僕たちは楽しませてもらった」

まさにその通りである。

私もそれなりに楽しめたが、運営に関わっているスタッフさん、準備段階から関わっていた人も当日だけ参加した人もいたそうだが、1日だけ参加した人は1日分だけの楽しみと大変さが、準備段階から関わっていた人は、大変なことも多かっただろうが、その分だけ楽しみがあったはずだ。

何かの体験を『買う』ことも楽しいが、それよりも作り出す体験のほうがもっと楽しくて、それで得たお金より、体験できること自体がうれしいことなのだろう。

来年はなにか運営に関われたらいいと思った。

やること1杯だけど。

(それを克服するのが多動力なんだな)