2017年05月

2017年05月31日

好きではないことを好きなふりしなければならないとき

昨日、70分のご予約だったのに、お会いしてすくぐ「どんな人が来る分からないから70にしたけど、気に入ったらか130分にしよう」とコース変更してくださってうれしかった。

しかし、その「延長」した時間、お客さまとホテルでカラオケを歌わなければならなくて、かなり辛かった。

もし「カラオケなし70分2回戦」と「カラオケ70分+プレイ60分」と選べるのなら、絶対前者、もし、お会いしたときに「気に入った女性とホテルでカラオケするのが好きなんだよ。演歌歌えるなら延長するよ」と聞かれたら「いやぁ、苦手なんです」って答えただろう。

しかし、まぁ、年配の男性が好きそう歌ってなんだろう?とかなり真剣に脳内検索し「テレサテン」を思いつき、私にも歌えそうで、コーラス付きの『愛人』を選んで、なんとか歌った。

(島倉千代子『人生いろいろ』は違ったかも)

歌いながら『愛人』という歌の歌詞の中で描かれる「自分を犠牲にしても愛する男に尽くすが『一緒にいられること』や『あなたが愛してくれること』以外に見返りを求めない」という男性にとって都合のいい女性像と、そんな歌が男性に好まれ、飲み屋さんなど「お金でサービスを提供する」つまり「見返りはきっちりもらう」女性に歌わせてきたことをすごく考えてしまって、「『好きな歌、歌っていい』と言われたから中島みゆきの『恩知らず』とか歌いたいけど、やっぱりダメだよなぁ」と思いながら、「男性に尽くす女の歌」を歌う「顧客」に合わせて盛り上がっていた。

今回はかなりイレギュラーなプレイだったけど、多くの風俗嬢さんは絶えず、「好きでもない行為を好きなふり」しているのかと思うと、かなり気の毒になってきた。

ところで、私はいくら客の立場だからといって、スナックで他のお客がいるときに、カラオケを歌わない。

そのときは「申し訳ない」という気持ちを「こっちは金払ってるんだから!」という気持ちでねじ伏せている。


femmefatalite at 05:10|PermalinkComments(0)風俗論 

2017年05月30日

好きだけど、知らないことがあっていい

女性アイドルがうっかり生理用品を撮してしまったことで「非処女だ」という騒ぎになったそうである。

なぜか「生理があるのはセックスしたから」とか「ナプキンはセットとのあとに使うもの」という間違った知識を持った男の子たちが多いようで驚いた。

誰にも分からないことはあるし、知らなければならないとき(女性と付き合い始めるとき)になったら理解すればいいことだから別にいいと思うのだけど、普通なら誰にも知られずにひっそりと感じている「勘違い」が「ネットでの発言」で周知のものとなり、非難の対象となるのがおもしろいと思った。

ところで、セックスとか異性のことを好きだったらもっと勉強しろという意見もあって、それはどうなんだろうと思った。

たしかに今はネットでなんでも調べられるから、女性の身体のことや性に関することは調べようと思えば調べられる。

しかし、みんながみんなが「好きなものに対して詳しく知りたい」と思うものでもないだろう。

私はウイスキーが好きだけど、ウイスキーの歴史や上流方法を詳しく知りたいとは思ったりせず、単においしいお酒を飲んでいる。

「山崎」というお酒と「響」というお酒を飲み比べて、「響」のほうが好きだと気がついて、「山崎は大麦麦芽(モルト)のみを原料とした、シングルモルトというウイスキーだけど、響はいくつかの原料を混ぜ合わせたブレンデッド・ウイスキーだ」と、行きつけのマスターから聞いたけど、それをもっと詳しく知ろうとは思わない。

「山崎はシングルモルツ(『モルト』を『モルツ』と勘違いしていた)」で「響はたくさんのモルツを使っている」ことは理解したけと、では「何種類のモルトを使っているのか?」とかまで知りたいとは思わない。

もし、そこで、「もっと詳しく知りたい」と思う人がいれば、その人は「ウイスキーのプロ」になるかもしれない。

つまり、「性や女性に対して無知」な男性を非難している人たちは、すべての男性が「性のプロ」、例えば、性にまつわる著作のあるAV男優さんみたいになることを求めているのでは?と思ってしまうのである。

別にいいじゃん知らなくても。

いや、知らないくせに「自分の知識は正しい」と思い込んで、自分の想像とは違う、リアルな女性を受け入れられなくなっていることが問題なのだと思う。

それは知識より対人関係の問題なのだ。

2017年05月29日

好きなことが増えていく人生

週末、土日のどちらかにお気に入りのスナックに行けることが、最近の楽しみのひとつになっている。

行きつけのスナックに定期的に通う習慣はこのお店が初めてだけど、単にそんなきっかけがなかっただけで、本来、「行きつけのお店で、一杯やりながらご飯を食べる」という行為が好きで、もし私が「ひとりもの」だったら毎日でも通っていただろう。

でも、私はひとり暮らしをしたことがなく、独身のときはいつも母親が晩ごはんを作って待っている状況だったし、結婚してからは私が晩ごはんを作らなければならない立場だったので、「晩ごはんを食べて帰る」気楽さも、飲み屋さんの楽しさも体験する機会がなかっただけなんだと思う。

考えてみたら、風俗の仕事も、ブログを書くことも、SNSの投稿も、みんなそれまでにやったことがなかったけど、やってみたら楽しかったことだ。

生きてくことは、そんなふうに知らなかった自分の好きなことに出会えて、少しずつ「好きなこと」が増えていくことだと思う。

でも、「辛いことばかりの人生」を送っている人もいて、その違いはなんなんだろうとちょっとだけ考える。





2017年05月28日

「世間の常識に縛られず、自分のしたいことをして生きていこう」と提案する堀江貴文氏はおせっかいか?

堀江貴文さんの

『すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~』と

https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B06XGXMNW4/ref=mp_s_a_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&qid=1495920602&sr=8-1&pi=AC_SX236_SY340_FMwebp_QL65&keywords=%E5%A0%80%E6%B1%9F%E8%B2%B4%E6%96%87

『好きなことだけで生きていく。』を読んだ。

https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4591154661/ref=mp_s_a_1_3?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&qid=1495920602&sr=8-3&pi=AC_SX236_SY340_FMwebp_QL65&keywords=%E5%A0%80%E6%B1%9F%E8%B2%B4%E6%96%87&dpPl=1&dpID=51H7SKaQgJL&ref=plSrch

どちらも、「『いい大学に行ってちゃんとした会社に就職しないと将来悲惨だから、子供のときからがんばって勉強しないと』という常識を捨て、自分の好きなことをして生きていく」ことを提案している本だ。

確かにその通りだなぁと思うのは、話題になっている学校関連の問題は、どれも「愛国心の強い子供を育てたい」「足りない職業に就ける人を育成したい」「大学を誘致して地域経済を建て直したい」という「自分達に都合のいい教育機関を作る」ことが真の目的であり、そこで学ぶ生徒や学生のことを考えていない。


認可に当たっての政治家との不適切な関係で問題にされているが、比較的新しく作られた多くの「あまり偏差値が高くなくて、卒業後、就職先に困る学生が多い大学」のほとんどが、そこで学ぶ学生のことよりも、自分達の利権しか考えていない。

だからこそ、「奨学金を借りて大学に行ったが返せなくて困っている」という人が続出しているのに、誰もその根本的な救済策をとらない。

また、何十年も前から「いじめ」や「いじめによる自殺者」が出ているのに、それも解決に至ってない。

堀江氏も指摘しているように、学校は「社会のために必要な人材」を作るために作られたもので、自分がしたいことではなく、決められたルールに沿って我慢して生きることを受容できる人を作っている。

私は風俗という仕事が好きで「そんな仕事はよくない」という常識を無視して生きているが、多くの人は「お金のためにしかたがなく」しているようだ。

なぜ、裏アカで愚痴らずにはいられないほど嫌な思いをしながら、「転職」を考えないのかと疑問に思っていたが、そんな人たちは「嫌なことでも我慢しなければならない」「学歴がないといい仕事につけない」いう洗脳に掛かっていることに気がついた。

さらに「もう十分お金が貯まったから、風俗の仕事をしなくてもよくなったけど、したいことが見つからないから、また戻ってしまう(しかしそんな自分が嫌)」という人もいて、こういう人たちは「自分の好きなことを見つけられず、決められたルールに沿って生きることが楽」なんだろう。

ところで、『好きなことだけで生きていく。』のあとがきで堀江氏は「自分はおせっかいが好き」と書いている。

ライブドア時代の、マスコミによって作られたイメージしか持ってない人は「嘘つけ!自分の利益のためにオンラインサロンを作ってお金を巻き上げているんだろう」「自分が大学を中退したコンプレックスから「大学校」と称するオンラインを作ってるんだろう」と思う人もいるかもしれない。

しかし、オンラインサロンやメルマガでの発信や活動を知るにつけ、自分の利益しか考えていない大人や無知な親から「常識的な生き方」を押しつけられて、しなくてもすむ我慢を強いられている人たちに「自分のしたいことに夢中になりながら、毎日をわくわくした気持ちで過ごす生き方」を提案しているのだと思う。

堀江氏の誤解が解けること、ひとりでも多くの人が「好きなことをして生きていいんだ」と思えるようになってほしいと願う。



2017年05月27日

「良縁で良かったと率直に喜べない周辺状況」あること

ある週刊誌が皇室の方の婚約予定者の父親が離婚していたことをスクープし、「ほかにも良縁で良かったと率直に喜べない周辺状況もあるようだ」などと述べている。

今の日本には、結婚相手の身内に自殺者がいたとしても、なんら問題はないと思う人が大半だと思うのだが、頭の古い人のなかには「結婚の反対材料」と思う人もいるかもしれない。

単に「自殺した」という事実で反対する人もいれば、自殺する背景に何か精神的な問題があり、それが結婚相手や結婚しできた子供に遺伝することを恐れる人もいる。

この記事を読んで、私の同級生のことを思い出した。

父親はいないが、財産のある家に生まれ育ち、本人もすごく控えめで素直な人なので、知り合いの古い家の跡取りである男性を紹介しようとした。

というのも、その男性は家を継がなければならないのに、その家に嫁ぐ女性は嫁として求められることが大きいうえ、母親が厳しい人という噂もありなかなかいい相手に恵まれないが、彼女のような人ならうまくいくのではないかと思ったからだ。

しかし、それを相談した母親は「彼女のお父さんが自殺しているので難しいと思う」というのだ。

そういえば、彼女から「(私はよく話をいただくのに)自分には全然お見合いの話がこない」と聞いたこともある。

その後、ある男性と恋愛結婚したし、「結婚の父親が自殺した」ことを気にするのは、古い格式や家柄を気にする人たちだけなんだなと思った。

しかも、それは今から20年以上昔のこと、今だにそんなことを気にする人がいるのは驚いたが、この記事を書いた記者さんは「皇室の相手にはふさわしくない」と思っているのか?それとも自分の子供や孫の相手が、そうであった場合「そんな人と結婚したら不幸になるからやめなさい」と言うのだろうか?

今、どれだけ「親のこと」を気にして、子供や孫の結婚を反対する人がいるかは分からない。

そんなにいないのではないかと思うが、皇室の人たちが「大切なのは本人の気持ちで、親のことなど関係ない。過去の転職も今、いい仕事についているからいいではないか」という態度を示すことで、頭の古い人たちの意識が変わっていけばと思う。

「きょうだいは上から順番に結婚するのがよくて、下の子が結婚したがっても、兄や姉が結婚するまで待たされる」ということが、私の少し上の世代までは聞いたことがあるが、今ではそんなことは言われなくなったように。